今日は村下さんがデビューされた年のインタビューをご紹介します。

この頃の村下さんは、吉田拓郎さんらが作った初期の「広島フォーク村」がなくなって、盛り上がりに欠けていた広島の音楽界に独自の音楽文化を作ろうと奮闘されていました。確かこの頃は中心となって「第2期 広島フォーク村」に参加されていましたね。

RCCで担当していた「パワフル・ヤンヤン放送局」では20分間アマチュアのために開放し、発表の場を提供したり。「広島という街は、札幌、福岡と違って、東京の影響を受けにくいところ。だから広島独自のものができる可能性が大きいんだ だからこそ広島にこだわるのだ」とも答えておられました。

やっぱり「歌人 村下孝蔵」が生まれたのは、当時の広島の状況や独特な文化が作りあげたのだと、村下さんにとって広島はとても大事な場所なんだとつくづく思いました。

落ち着いたらまた僕も広島に行って、村下さんの過ごした日々を感じたいと思います。

そうそうインタビューの締めくくりに記者さんが「熊本弁まじりの広島弁が、完全に広島弁に変わった時、彼の目的は達せられるのかもしれない。」と書いておられましたが、村下さんの「熊本弁まじりの広島弁」は一生続いておられましたね(^_^) このしゃべり方が、村下さんの独特の優しくて温かい語り口で魅力でもありますよね。

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